昨日の出来事、とある人から私は人の話を全然聞いてないと 指摘されてしまった。
これは初めて言われたことじゃなくて 前にも言われたことがある。
私自身 自分が話しをしているときに 今目の前で話をしている人との会話プラス
他の事を考えていると自覚しているときもある。 ひとつに集中しようとしても 頭に違うトピックが浮かんで
なかなか会話のまとまりが付かないこともある。
自分で分かっているから意識して話しをするようにはなってきたつもりだったけど やっぱりダメみたい。
申し訳なかったなぁと反省、、、紳士に受け止めようと思う。
そしてその人は私の性格をどうやら分析していたようで こう付け足した、 私は 一つの事にのめり込みやす
くバランスが取れていない、だからいい状態の時はいいけど 落ち込んだときが危なそう なのだと。
まったくその通りだと思う。 それは重々承知の介なので なるべく バランスが自分自身取れるように
してきているつもり。 そしてそんな私は 不憫でかわいそうだと、、、、、。
ん? かわいそう? 不憫? 瓢箪から駒 ということわざが当てはまるかどうか分からないけど
突然の予期せぬ言葉で 驚いた。
そうかそんな風に彼女に私は写るのかと。 すごくショックな言葉ではあったけど 少し冷静に考えてみた。
人は目の前の人が自分の鏡になるという。 そして自分のいやなところが 目の前の人に写ししだされ
その人の欠点として指摘する。 その欠点がなくなれば自然と相手の欠点も気にならなくなるんだと。
これは 数年前に 不登校・引きこもりのこどもたちと生活をしていたときに 不平不満を言うこともだちを見て
生で実感したこと。 今回もまったくその通りだった。 話を聞かないことがある、話題がそれるときがある、
思い込みが少し強いなぁ、これは前から私がその人に感じていた印象。 私も全く一緒だから気づいたんで
すね。だから決して指摘・非難(アドバイスはいいと思う)することはしてはいけないと思ってた。 それに私に
はないいい所たくさんあったし。
今回彼女は私を通して 自分の事を見ていたのだと気づいたら どんな風に感じるだろう。
人が他者に不満をぶつけるとき、 それが自分自身に向けている言葉だと気づいたとき 人はどんな風に
感じるんだろう。 私自身それに気づいたときは 少し羞恥心を感じたのととても大きなヒントをもらった気がし
た。
要は自分の欠点がなくなれば、もしくはその欠点をきちんと知っていれば 相手を責めることも減るし
人間関係がもっと楽になると。 (人とぶつかり合うってのも時に大事なことだとも思います)
まぁそんな簡単な事ではないと思いますが、、、。
はてはてそんな私の言うことは のめり込み易く ちょっと危ないので みなさん信用してはいけません。